目撃証言の信憑性

第一回模擬裁判の様子
  皆さんは、誤った記憶に基づく告発を受けたことがありますか?記憶とはビデオレコーダーのように、出来事を録画し再生するというようには作られていません。しかし、事件が起こるとその曖昧な記憶に頼らざるを得ません。このような形で無実の罪により起訴される人は少ないと思われがちですが、誤判による有罪判決は少なくないのです。そして誤判の多くは、人間の誤った記憶に基づいています。  そもそも記憶とはあてにならないものです。日付を間違えたり、内容を間違えて記憶してしまったりしてしまいます。そして、その記憶を忘れないようにするために正しいと思事で補ってしまったりしてしまいます。これが記憶機能の性質なのです。  なぜ、記憶の誤りが起きてしまうのか。それは、同じような年齢、身長、体重、髪型などで、似ていると思ったところから始まります。そして自分の証言が誤りであっても、自らの証言を正しいと確信することで誤りが発生します。始めは、「この人が似ています。」の証言から「この人に間違いありません。」と変化してしまうのです。この場合に信憑性があるといえるでしょうか。目撃者の確信が高ければその証言に説得されてしまう傾向があります。目撃者の証言を裏付ける証拠があるのなら、目撃者の証言に信憑性があるといえるでしょう。しかし、目撃者の証言以外に証拠がない場合は、無罪の罪でなく人が出てしまうおそれがあります。間違われた人にしてみれば「恐怖」という言葉しか出てこないはずです。心理的・社会的にかなりの損害が出ることは間違いありません。心理的な損害は、真実ではない証言を拘束者にさせるときがあります。これは明らかに心理的なものであり、真実ではないのです。ですが、一度言ったしまった証言にやり直しは効きません。これらは二重の恐怖です。そして目撃者の確信を裏付けるような報告をすると、不当にも確信度を高めて有罪判決を導きやすくしてしまうものです。このような事が公平でしょうか?無実だとわかり釈放されたとしても信頼を寄せていた制度に裏切られ、忘れることのできない記憶になってしまいます。拘束される前とはすべてが変わってしまうものです。  もし、皆さんが被害者になってしまったら、正しいこと、真実のみを話してください。そして目撃者になったときは、人間の記憶は曖昧なものであり完璧な記憶はないという事を覚えておいてください。無実の人に有罪判決が下らないようにするためにも、真犯人の正しい識別をすることが必要です。 ※本文については、エリザベス・ロフタス、キャサリン・ケッチャム著、厳島行雄訳『目撃証言』岩波書店(平成12年)を参考とした。  
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