司法民主化のバロメーター 顧問 小暮 得雄

第一回模擬裁判の様子
いま、戦後最大といわれる司法の改革が進行している。マスコミ風に言えば、その目玉が日本版ロースクール=法科大学院の新設と裁判員制度の導入であることは多言を要しないであろう。このうち、法曹人口の拡大を目指すロースクールの方は、“社会生活の医師”たらんとする若者たちの人気を集め草木もなびくほどのブームを呼んでいるのに対し、司法に国民的基盤を与える裁判員制度の導入という大問題に関しては、今一つ盛り上がりが欠けるように思われる。果たして、新しい制度は、昔から、ことのほか“お上の裁判”という意識が強い我が国に定着するのだろうか?  法先進国と呼ばれている国々は、概して<陪審制>という形で司法への国民参加を認めてきた。実のところ、我が国にも、昭和のはじめ、刑事裁判について陪審制を採っていた歴史がある。司法参加の在り方の如何は、いわば国民と司法との距離を測るバロメーターに他ならない。裁判員制採用にあたっては、職業裁判官と市民裁判員との比率をどうするか、メディアの取材制限や守秘義務の範囲をどう定めるか、などの難問がひしめいているが、英知を傾けて司法の民主化をすすめるべきであろう。  そんな状況の中で、今年も大学祭の定番、模擬裁判が催されることとなった。これまで、本学では、一貫して参審制または裁判員制による模擬裁判を”試行”し、世間の注目を浴びてきたところ、裁判員制(一種の参審制)の導入が既に立法過程にのぼっている現在では、単に新しい方式を借りるだけにとどまらず、一歩踏み込んで裁判員制度の是非そのものをといかけるような内容が求められるだろう。懸案の職業裁判官と裁判員の人数については、舞台の構造上の制約もあって、論議の末、1対4という比率が設定された。法曹としての専門教育を受けていない四人の市民裁判員が加わることによって、法廷の雰囲気がどう変わるだろうか?職業裁判官や検察官には見えない真実を、裁判員は見抜くことができるだろうか?いったい職業裁判官による審理と裁判員制とでは、どちらの側に”冤罪”の危険が大きいだろうか?夏休みを返上して学生諸君が作り上げた模擬法廷は、多分その辺を考えさせる機縁となるに違いない。  時は流れ刑事司法も大きな曲がり角を迎えた。年明けには、裁判官と裁判員の人数比を含む制度の具体的な輪郭も明らかになっているはずである。今日皆様にご覧いただいた模擬法廷が、刑事司法の現実の姿となる日もそう遠いことではない。
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