虚偽の自白

第一回模擬裁判の様子
 今回の模擬裁判は自白調書の信憑性(自白の強要が行われたのではないか)が争点の一つとなっています。しかしなぜ人は身に覚えのない犯罪を自白するのでしょうか。 虚偽自白までの過程  なぜやっていない人間が「やった」と言うのか。その要因の一つに「自分の身柄が相手に拘束されている」ということが挙げられます。たとえ任意同行だったとしても、突然警察に連行され狭い取調室に入れられ、そこで数人の刑事たちから厳しい尋問を受けることになります。「やっていない」と弁明しても取り合ってはもらえず、席から立つことも許されず、いつ終わるかもわからない状態の中で、不安感、孤独感、虚無感に襲われ、精神的に追い込まれていき、やがてこの空間から解放されたいという一心で「私がやりました」と言ってしまうのです。虚偽の自白をした人の多くが「この状況におかれるとやがて頭の中が真っ白になり、刑事に言われるままに犯行を認めてしまった」と語っています。 虚偽のストーリーを語る過程  取り調べによる自白は犯行を認めただけでは終わりません。認めれば当然次は「動犯行を行ったのか」を追及されます。しかし無実の者には犯行など語れるはずがないと思うのでしょうが、認めた以上はもう後戻りはできなくなります。ここで再び否認すると最初の取り調べ状態に戻ってしまうわけですから。そこで取り調べを受けているものはまず自分が犯人だったらどう行動するかを考え、警察に突き付けられた事件の証拠を元にその証拠に沿った犯行ストーリーを作っていくのです。その結果自白調書は証拠と合致することになります。しかし実際はやっていない人間ですから、犯行ストーリーには数多くの間違いが出てきます。その場合捜査官の方から「そこはそうだったかな」といくつかのヒントを与えられます。そうすると取り調べられているものは「これは間違っている」と気づいて、与えられたヒントをもとにストーリーが訂正されていきます。こうして虚偽の自白調書は出来上がっていくのです。 有罪率99.9%の裏で・・・  取り調べの場で引き出された自白がもし虚偽であるならば、裁判でそれは暴かれなくてはなりません。しかし裁判においてすら自白した以上は、よほどの事情が無ければ犯人に間違いなかろうと簡単に有罪の判決を下してしまう事が少ないのです。もちろん、中にはうその自白の状況を見破って、無罪を出した判決もあります。しかし一方で、検察が言葉の上で一見矛盾なく描いた物事を、ただなぞって追認しただけの判決もあるのです。裁判官ですら、時に被疑者被告人を巻き込んだ渦から自由になれないのである。 取り調べの透明化  嘘の自白を防ぎ、あるいはそれが生まれた時にはそれをチェックできるシステムが今求められています。目撃供述にせよ自白にせよ取り調べにおける言葉のやり取りを、録音テープに記録して、あとでチェックできるようにするだけで、冤罪の過半は解消するといわれています。  ところが日本の捜査当局は、この取り調べ過程の可視化に対して、いまだに極めて消極的です。イギリスでは冤罪発生の原因を究明し、その反省として定めたのでした。そしてその成果は十分に評価されています。日本でもそれは十分可能な事なのです。  日本の刑事捜査、刑事手続きの中にはブラックボックスがあまりにも多く、まずはこのブラックボスにもっと光を入れるように努め、そうして法の世界が私たちにもっと見える世界になったとき、その自白の謎も解け、それを防止する道も開かれてくるはずです。  さて今回の被告人は自白を強要されたと主張し、無罪を訴えています。果たして被告人は無罪なのか?それともすべては罪を逃れるための嘘なのか?実際に裁判員になった気持ちで考えてみてください。さあ、あなたの目には被告人の訴えはどのようにうつるでしょう。 <参考文献> 浜田 寿美男「自白の心理学」岩波新書(2001年) 守屋 克彦「自白の分析と評価」勁草書房(1988年) 渡部 保夫「無罪の発見」勁草書房(1992年)
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