冤罪について

第一回模擬裁判の様子
冤罪とは「無実の罪」のことをいい、真犯人で無い者が犯罪を犯したのではないかという疑いをかけられ逮捕・起訴され、審理そして有罪の判決を受けることを言います。冤罪は、警察の捜査員の見込み捜査に始まり、それが検察や裁判所にチェックされることなく進行することによって作り上げられます。誤判を生み出す主要な原因は、日本の刑事手続きの構造そのものにあるといえるでしょう。  冤罪による悲劇は、決して他人事ではありません。もしかしたら明日、わが身にふりかかるかもしれない可能性があるのです。そして、マスコミのみならず、一般市民も冤罪の発生に加担しているということを忘れてはいけません。もし、誤報であれば、犯罪報道は、報道機関による「表現の自由」という旗を掲げた暴力転化してしまいます。さらにそのメディアの情報に流される一般市民の世論も冤罪形成を助長するでしょう。つまり、そのメディアの情報に流される一般市民の世論も冤罪形成を助長するでしょう。つまり、正しく市民を守るべき報道が、一人の人間をいとも簡単に社会点に抹殺するところまで追い込んでしまうのです。  冤罪によって死刑判決を受けた事例としては、免田事件、財田川事件、島田事件、松山事件などがあります。それは最高裁で刑が確定したのちに再審において判決に重大な誤りがあったと認められ、裁判をやり直して無罪となったのです。 また、記憶に新しいところでは松本サリン事件の河野義行さんの事例があります。 では、このような冤罪事件を無くすためにはどうすればよいのでしょうか。 では、このような冤罪事件を無くすためにはどうすればよいのでしょうか? まず、捜査段階から見てみると、冤罪は捜査のゆがみ(捜査官の主観的な見込みや勘に頼った捜査)から生じるといえます。 この歪みを直すためには 第一に、単なる見込みにもとづく逮捕を許さないこと 第二に、代用監獄を廃止すること。 第三に、被疑者の取り調べ方法に対し、法律的規制を行うこと 第四に、捜査官委による取り調べの結果の供述書の作成を法律的に義務付けること。 第五に、ご鑑定を防ぐために、鑑定は原則として複数のものに依頼するよう義務付けること。 第六に、捜査段階の国選弁護人制度を新設し、被疑者段階での弁護活動を手厚くすることなどが求められている。 次の起訴段階についてみると、冤罪は検察官が起訴段階で、捜査の全過程を冷静公正に検討し、チェックすれば防げるはずです。 ところが、検察官は自らも捜査を行う立場にあるので、客観的に判断できず、捜査の歪みを上塗りし、起訴してしまう傾向があります。そのため、検察官以外の者による起訴のチェックが求められます。その役割を果たすものが、まさに、裁判所なのです。裁判所は冤罪防止のための最後の砦であり、その使命の重大さを自覚しなくてはならないでしょう、すなわち、後半段階について考えると、見込みや勘に沿う形で集められた自白・第三者供述・証拠物・鑑定などが有罪証拠として後半に提出された場合にその集められた過程や手続きを無視し、有罪の予断を持って証拠評価を行うとする裁判官の姿勢こそ、冤罪を直接的原因であるといえます。そうだとすれば、第一に、裁判所は捜査過程を吟味し、任意性に疑いのある自白・証拠物、さらに、そのような証拠物に関して行った鑑定を証拠から排除することが何よりも求められます。そして、自白依存の事実認定を避け、客観的証拠との不一致性等に注意を払い、「疑わしきときは被告人の利益に」という事実認定上の大原則を忠実に守ることは必須のことです。  さて、今回の模擬裁判を観て、これらの点について考えるきっかけとしていただければ幸いに存じます。 参考文献 井戸田侃「被疑者取り調べ」日本評論社(1991年 小田中聰樹「冤罪はこうして作られる」講談社現代新書(1993年) K・ペータース著、能勢弘之・吉田敏雄編訳『誤判の研究』北海道大学図書館刊行会(1981年) 守屋克彦「自白の分析と評価」勁草書房(1988年) 横山晃一郎「誤判の構造」日本評論社(1985年) 渡部保夫「無罪の発見」勁草書房(1992年)
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